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疑似科学の現代における可能性と西洋占星術の持つクリエイティビティの可能性について

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自然科学だったものが、疑似科学になったときそれは芸術(文化)に変わります。
正しいと嘗て絶対性を持って信じられてきたものが、人類の進歩によって変化するとき。


それは文化という器に変化して、人々の創造性の器に居場所を変えるのでしょう。

 

現代において私たちは、常に「正しい」とあることに神経をすり減らしているように感じます。

「正しい情報・正しい考え」と「正しさをジャッジすること」固執しなくてはならないという観念に支配され、決断を強いられます。逆に言えば、その正しさに全信頼を置いてしまった瞬間に思考停止に陥ってしまう危険性に隣合わせであるともいえます。それでも、人は考え続けて判断し続けなくてはなりません。

ここに、「創造性の重要さ」が存在します。人が判断する力を失った時、それは同時に現在や未来に対する創造性を失った状態を指します。

 「文化に転進した疑似科学」はこの分野を担う存在になりえると私は感じるのです。

 

例えば、私が「西洋占星術師」をしていることに関してその造詣が深くない方に「占い」という単語を述べただけで嘲笑されることがあります。
非常にそれは遺憾な事でもありますし、日本の占い文化自体がメインストリームの現代思想においては「当たっている」「当たっていない」≒「正しい」「正しくない」でしか評価軸がないことや、「それのみ」を占術の価値として提案することしかしていない技師達自体の業界ブランディング不足問題そのものでもあると私は認識しています。


確かに、太古の時代では物事の判断は占術的なもので行われていたこともありました。

様々な分野での技術が発展した現代においては「占術のみ」にてものごとを判断するのは確かに原始的過ぎますし、それでは愚かな判断を招きかねません。

 

しかしながら、それでも占術が太古から現代においてまで無くならないのは何ゆえでしょうか?

 それは「心や感情」「未来への展望」「関係性」といった「目視できない人間という構造体を”扱う”知恵」を集積した分野であるからでしょう。

 

人は必ず未来に不安を感じるように出来ています。未来に対しての不安を「想像」の力を持って解く事を得意としているのが占術なのです。

 

占術は多くの儀式的な行動とファシリテーター(占術師やシャーマン)の誘導と共に行われます。多くの古来からの宗教は必ずといって良いほど占術を持ちます。仏教の宿曜経、旧約聖書のレビ(司祭者)が行う「ウリム」「トンミム」などの石占術、アラビアの占星術など多くの宗教が占術を禁止しながらもの各々の占術を持つのは、それ自体が人間にとっての重要な効果を持つものであり、政治的な意味で人々にとって大きな影響を与えるものだったからでしょう。


言い換えれば、占術は現代においては「より普遍的な」ものへ変化させることで、「心や感情」といった「目視できない人間という構造体を扱う知恵」を集積した分野にて、人間の不安や感情という見えないものをスムーズに解決する手段として人間文化的な価値を持つ事ができるのではないかと私は考えます。

 

わたしが冒頭のような方に「西洋占星術を用いてしていること」を説明すると、強く興味を持っていただくことが殆どです。それはどういうことを指し示すのでしょうか?

 

それは「人生を感情と共に死ぬまで生きつづける必要がある」 という部分に誰しもが引っかかる部分を持っていることなのではないでしょうか。

 特に不安と言う感情は生物が生存する上で自己を守るための重要な感情です。

しかしながら、この感情は薬でもあり毒ともなる「やっかいな」相手なのです。

 

何処からともなく訪れる不安、突如として降りかかる不安など、この扱いに手を焼いた事のない人間のほうが少ないと私は感じます。

その効能を上手く利用すること=不安との上手く付き合う事で自らの持つ力を存分に発揮し易くすること。それは本屋に行けばすぐ感じ取ることができます。現代における多くの自己啓発分野での書籍の多さ。つまりそのニーズと効果がそれを裏付ける事実であることは明瞭です。

 

そして感情の中での「不安」の解消という分野に関して、占術は古代からの創造性や芸術文化性を帯びて働きかける効果があり、聡明さを兼ね備えたエキスパートたちの存在や研究は社会においての豊かさ提案できる可能性を持ちます。

 その上で、私の西洋占星術を用いて行っているアプローチは以下の三点になります。

 西洋占星術の技法を用いた対話による

  1. 本人の性質の俯瞰
  2. 時間軸の俯瞰
  3. 関係性の俯瞰

 

多くのクライアントが対話を通して気づきを得ます。

そして、あらゆる不安に対して、この3つのアプローチは「本人の気づき」によって解消への道を歩み始める増進剤の役割を果たしていきます。


さらに西洋占星術を用いた対話において、占術のもつ「預言」的な要素≒「生まれる言葉」は人々の創造性に働きかけます。眠っていた言語化出来ていない部分を覚ますようなイメージです。

 占術師はあらゆる象徴を利用して語りかける「詩人的な対話師」であるのです。


その中での「本人の気づき」はクライアントの心の中に響くものと変化し、あるときは情熱的な、あるときは聡慧的な言葉と共に心の豊かさという「生きるクリエイティビティ」に繋がります。

 

つまり不安という泥にまみれた原石を洗っていく作業をすることで人生の豊かさを人は得る事ができ、その人しか持つ事のできない「個性」へと変化させることを目的とすること。"俯瞰する対話"は、遠くから見ているようで過去から未来までに広がる深い海に潜り宝石を発見するような行動なのです。

 

①~③までの俯瞰を様々な技法を用いて、対話の道具として使用できる西洋占星術は道標として、非常に象徴的で創造的かつ構造的に扱えるという強みがあります。わたしの仕事はいかなる場合も、フラットな状態でクライアントの前に佇み、彼らの奥に広がる世界を天体の図と共に「いっしょに眺めること」です。

 

そしてそのための潜在能力つまり、技術を支えてくれるものは西洋占星術と言う「先人たちの知恵」であり「文化」なのです。

 そして私が鍛錬を重ねているこの分野は、同じようにして関わっている紡ぎ続かれる人間の営みである分野、つまり芸術に非常に近しいと私は考えています。

 

「西洋占星術」は「疑似科学」と言われている分野です。(この文章においての「疑似科学」は「過去に科学的事実として公に認知されていたもの」と私は定義します。)

わたしもそのクチだったのですが、「科学的に」という言葉をつかって、色々なことの「正しさ」に固執したくなってしまうこと。それはナンセンスな使い方をしていることが殆どと言えましょう。

 

科学的という言葉をあえて、会話上の文脈で科学語として定義づけするならば「再現性があることかどうか」となります。大抵の方はその要素ではなく、

「公の裏付けがあるか=自分が信用しても良いか」

という基準で「科学的か」という言葉を使用します。その意味で「科学語」として物事を「科学的」かという事で話している人に会うことはほとんど一般人には居ないのです。

 

それは言い換えると、「聖典上で正しいかどうか」という言葉と同義の位置を持ちます。一種の思考停止とも言えましょう。わたしはこれを「科学的な信仰」と読んでいます。

 極端に言えば、「科学的か」という人間ほど妄信的な傾向があるという事を指すことも可能なのです。

人は正誤の基準を自分の中だけではなく、社会(外部)の中に形成します。一昔前はその社会は宗教共同体(国家)でありました。それがグローバリズムの中にある「科学」という名前にすり替えられているだけとも考えられます。社会のもつ正誤の基準に、個人の意思決定を全任することほど危険なことが多いという事実は歴史的な惨劇から推測するに明確です。そして、個人の外部における同化度は、使用する言葉から推測できますし、判断素材をパーソナルな中に起因する事を多く持たないということは、自己意思決定においての社会依存度を上げ、特に「現代社会」においてはクリエイティブで柔軟な思考を知らず知らずのうちに失っていることになりかねません。

 

「正しい、間違った 」という観念に束縛されているということは、現代のうわべの上に立っている自分の表層だけを見て全体性を眺めることが出来ないまま話しているにほかならないのです。

 冒頭でお話した占い師自体が「正しい」「正しくない」≒「当たっている」「当たっていない」でしか提案できずにいるという事実は、同様にクリエイティブで柔軟な思考をこの分野自体が失っていることを表しています。

 

そして、関わる人間の命題として「どんな役に立つクリエイティブさを提案できるか」ということが、課題でもあるということは分野の価値を上げる過程で明瞭なことです。

 その上で疑似科学や科学だったものがなぜ文化的な面を持ちクリエイティブな可能性を持っているかを少しだけお話したいと思います。
疑似科学や科学だったものが「科学的な信仰」を失った瞬間、そこに残るのは「人間に親しまれた普遍的な感覚=文化」です。ここにクリエイティブの可能性は生息しています。つまりそこに私はクリエイティブの土壌を感じるのです。

 

身近な例を挙げて話しましょう。例えばティラノサウルス。恐竜のフォルムの典型のイメージでしょう。
最新の研究のティラノサウルスは毛が生えて鳥のようなフォルムをしていることが判明しました。私たちが子供の頃慣れ親しんだ恐竜的な「T-レックス」のフォルムとは大きくかけ離れていますね。あの恐竜的なフォルムは居場所を失ってしまい、過去の遺物となってしまったかに思えます。


しかしながら、間違いなく「Tレックス」のフォルムは太古のイメージと共に男の子たちに大きな夢を与えたでしょうし、今でも多くのキャラクターデザインにおいて影響を与えています。では、あの生命体の造形とは?となるともはや「Tレックス」の居どころはイメージの源泉という芸術や文化にある場所に移動するのです。


同じようにして、西洋占星術は占星学として「星が人間に与える影響」を研究してきた自然科学だったものです。そしてギリシャ、アラビア、インド、ヨーロッパと多くのユーラシア大陸の文化を融合し思想体系と結びつき「未来への俯瞰」や「関係性の解読」に特化したバイカラーな精神世界の文化でもあります。
そして「西洋占星術」のさらに興味深い部分は、それに加えて「現在も変化し、活用方法が開発され続けている疑似科学」であるということです。

現代においては心理学との結びつきも強くなり「心理占星術」と言う分野や、インターネットテクノロジーの発達と共に誰でも個人チャートを計算でき、アストロカートグラフフィなどの20世紀後半に開発された占星術に親しむことが可能になっています。

この占星術の「古さと新しさ」という相反するようで融合する2点と「現代における精神世界の豊かさに繋がる」ためのミッドポイントを探せないか、そして提案することができないかと私は考えているのです。

 

5月末から始まる、かねてから温めていた都内で行う西洋占星術のセルフプロファイリングの講座を皮切りにクリエイティビティを提案できたらと思い研究する日々です。芸術や文化の分野は人間社会を豊かにするためにあると私は考えます。

 

豊かさとは何か
人間とは何か

 

占星術師や芸術家は考え続ける必要があるのでしょう。

また、考えが深まりましたらこの話の続きを書きますね。
そして近々、西洋占星術セルフプロファイリング講座についても詳細を書ければと思います。

本日はこのあたりで~。