奄美大島でアニミズムを考える

 

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奄美大島アニミズムのリサーチも兼ねて数日間行ってきました。

 

奄美の島。この土地にいると、国家というものを抜きにした、日本という島の集合帯がどうやって出来てきたがきゅっと分かります。

島ごとに文化はちがえど、そこに根付くアニミズムの世界、つまり神話の世界から古来人たちの旅が想像できたりするのです。

 

大和村(やまとそん)という風光明媚な場所があります。海の先に、ぽこぽこと出ている岩に海から来た神様は最初に降り立つ。

(これは男性の(的な)神さまだろう。)

山には女神さまがいる。二人が出会って島が出来る、恋の物語。

 

大雨の中、一瞬だけ差した夕日で海が金色に染まったときにそんな太古の神話の世界のワンシーンが過ぎりました。

 

実際に調べてみたらここは、奄美の島々を造った阿摩弥姑(あまみこ)と男神の志仁礼久(しにれく)の二神が君臨された地であると言われている場所。そして、大和村(やまとそん)にそびえる神聖な山、湯湾岳が降臨した地であると伝えられています。

 

神話の世界は、太古の時間を教えてくれるのでしょう。

海から来た男の神様は、きっと大陸などから来た男性です。時代的に移動するのは男性でないと体力的にも厳しい。

そして原住民であった山の民の女性に出会って島の物語は始まるのです。

 

私たちがずっと生まれる前のものがたり。

人は旅をして、また出会って紡がれていく。

 

昨日はガイドの瞬さんにマングローブの森に連れていってもらいました。

(これの話はかなり、ゆっくり書きたいのでまた今度)

 

帰りの車の中でシュンさんが言っていました。

 

奄美の島では結(ゆい)という言葉があって、それは助け合うということなのです。島で生きるためには大切なことなのです。

余分に欲張って色々持つのではなく、なにか差し出せるものがあれば差し出して助けあっていくことです。

そして、自分が白畑という名字を名乗れるのも、おじいちゃんやおばあちゃん、お父さんやお母さんが良いことを紡いでいたから名乗れるのです。そうやって島で生きていくということは、同じように良く生きていく責任もあるってことなんですね。

それを結(ゆい)といいます。大切なことなのです。それを僕は紡いでいきたいのです」

 

法律ではなく、力ではなく。

ひとりのその場所(社会)に穏やかに生きるために大切なことは道徳なのかもしれない。

 

道徳は自然やひとを敬うことで、助けあうことで、責任をもてることで、そして次のいのちに紡ぐこと。

それはヒトとして「生きる誇り」を持つことに繋がります。

奄美の森や海や空は、そんなヒトに只々生きる誇りを与えてくれます。

シュンさんの話を聞いてぼんやり考えていました。

 

東京にいて、無限地獄かと思うくらい自己承認欲求に食べられそうになって、その飢えに踠いているヒトをみます。

それは、生きる誇りの欠損と渇望なのかもしれません。

 

生きる誇り はヒト同士で奪いあって得れるものではないのでしょう。

なせそこまで心が鈍く、貧しくなってしまうのか。

考えさせられました。