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白い魔法使いと黒い魔女

【白い魔法使いと黒い魔女】
 
実は母親がバックパッカーだったのもあり、幼少期はバリ島に通っていました。
子連れバックパッカーってやつですね。かれこれ15年くらい前から7~8年間バリ通いでした。
そんなこともあって、わたしは民族学とか民間神話とかいわれるものにとても興味があって、ちょくちょく作品のリサーチを兼ねた取材という名の旅に、ふらっと出てしまったりします。
ちょうど明日から奄美大島に出かけるので今日はバリ島の話でも書こうかなと思います。
 
バリ島は神々の島といわれる島で、バリヒンドゥーという独自の宗教を持つ島🌴。
お家にはかならずひとつずつお社があって、100箇所近くのお供え物置き場に一日三回お供えを供えます。お母さんや娘さん、おばあちゃんの主な仕事はお供え物づくりだったりします。
 
毎日どこかでお祭り(オダラン)があって、ガムランの音が聞こえます。眩しい日差しと色鮮やかな植物の色☘️。わたしの子どものころの光の色はバリの色彩が色濃いのです。満天の星空は南半球ではじめて見ました。田んぼの広がる景色の向こう側に、椰子の木のシルエットとカエルの鳴く声。空から降ってくるような、星たちのささやき。
 
わたしはウブドという、周辺の村人が殆ど半芸半X(半分芸術、半分何か)の生活をしているエリアにいました。わたしの滞在していたプリアタンという村は芸能の村で、踊り子とガムランの村。バリを代表する舞踊団が2つもあったり🌺。
昼は仕立て屋さんだったり、バイク屋さんだったり、農民だったりする人々が夜になると、金と白の衣装に正装してガムランの舞踊団オーケストラメンバーになるのです。村どうしでしょっちゅうガムランバトルのお祭りがあったりもしました。
 
芸術と生活がこんなにも近い場所は世界を探しても少ないのでしょう。
 
バリの宗教の基本的な考え方は聖獣バロンと魔女ランダの象徴に帰結するように感じられます。チャロナランという夜を通して行われるお祭りでは、聖と悪の象徴の二者が永遠とも言われる戦いを繰り広げます。
その間に人間たちは暮らしているという思想がそこにはあります。
 
「聖も悪の戦いは永遠に終わることはない」
「二つの要素があって世界はバランスを取り続ける」
昼と夜との繰り返しが終わらぬように。
 
そんなバリ島は呪術的な島でもあり、ホワイトマジックとかブラックマジックってことばが日常的に飛び交うのです。
 
それを専門職として職業にする人たちもいて、わたしは子どもの頃、お祭りでホワイトマジックを使うお坊さんには会ったことがあります。ホワイトマジックを使うお坊さんはバリアンとも呼ばれていて、お清めをしてくれたり薬草を処方してくれたりします。やさしそうなおじいさんでした。そして、ブラックマジックを解くお坊さんでもあるそうです。
 
ブラックマジックって何だ?ってなると思うでしょう。
なんか、子ども心に話を聞いてて、大人になったわたしが解釈すると、
「欲望」と「妬み嫉み」とかってやつだと思います。わたしが子どものころ、バリの人からよく聞いた話だと例えば、
「○○はブラックマジックの惚れ薬を盛られてだまされちゃったみたいだ」とか
「新しいバイクを買った○○はいきなり事故にあって、しかも病気になって、あれは絶対ブラックマジックかけたやつがいる」とかね。
 
それ自体の魔法の力みたいなのは、あるのか無いのか分からないけれども、そういった心や気持ちがあるのは間違いない。
そういう気持ちっていうのは、人の不幸と引き換えに自分の幸せを願うことなのかなって思うのです。
そういった心の振動をどんどん増幅させるのがブラックマジシャンの仕事なのでしょう。
偏った方向にどんどん、人を促していくこと。それは何かと引き換えに満足を得たとしても、
永遠の飢えの世界にいることと変わらない。
 
バリ人の人が言っていた。。
「ブラックマジックを使うと自分も最後は不幸になる」
そのことばが端的にすべてを現しているようにも思えます。
 
最近、精神科医でカウンセラーの高橋和巳著・『心を知る技術』という本を読んだのですが、彼の本を読んでいて感じたことは、カウンセリングは「心」という「見えない身体」を使った心をほぐすマッサージ(癒し)みたいなものなのかもれないなと。
 
彼は「心」を使った施術者として、「心の動かしかた」を本書では著しています。
 
心が固まってしまったクライアントに対して、彼は明鏡止水のごとく「鏡」になる。
それでも、やはり彼にも心があるから、彼自身の心が偏った方向に動くことがある(欲や苛立ちや怒りといったもの)
それを中庸の鏡の状態に戻すとき、その時の知恵が「心理学的な知識やノウハウ」つまり「知性」なのだと感じました。
 
だからこそ、何か人の心と向き合うときに、その根源の力は「妬み」「嫉み」「欲」ではいけないなと感じるのです。
ブラックマジックに然り、それは大きな力をもって人を動かせたとしても、それと引き換えに「永遠の飢え」と同居することになります。
 
わたしの心がたくさんの色んな国籍の、さまざまな種類の優しい大人たちと出会って「癒えて」いったときを思い出すと、癒してくれた方たちは、それぞれ「すてきな心のおと」を、「ことば」や「ただそこに居るだけいいよ」と、奏でていたように思えるのです。
そのゆらぎの世界にいるうちに、一緒にいるうちに、私の心も揺らいで癒えていきました。
 
「すてきな心のおと」とは
「許し」と「祝福のゆらぎ」そのものでした。
 
段々と年齢を少しずつ重ねるうちに、わたしが昔抱えていた同じような悩みを持っている女の子たちと出会うようになりました。
多かれ少なかれ人は問題を抱えているもんだとは思うのですが、彼女たちはとっても重い「魔女の呪い」みたいなものに悩まされていました。自分のことが羽のように軽い悩みだったなあと思えちゃうくらいに、深い沼のような「魔女の呪い」
 
「魔女の呪い」っていうのは心理学の交流分析の用語で、エリック・バーンが提唱した、子供の人生に破滅的な悪影響を与える禁止令(injunctions)のことを指します。また「グールディングの禁止令」という名前で、グールディング夫妻は「するな」という否定的なメッセージを12種類定めています。
 
1 <するな>
2 <存在するな>
3 <親しくなるな><近寄るな>
4 <重要であるな>
5 <子どもであるな>
6 <成長するな>
7 <成功するな>
8 <男(女)であるな>
9 <健康であるな、正気であるな>
10 <属するな>
11 <それについて考えるな>
12 <感じるな>
 
高橋先生の本でも書かれていた内容ですが、人同士が交流するとき、ひとは「子」「親」「同士」の役を自由に行き来します。
そのバランスが、うまく役になれないレベルにその偏りすぎた状態、それが「深刻な悩み」や「神経症」となって表面上に現れるそうです。
 
経験上、人と向き合うとき、特に「アドバイスする(親)」という立場になるとき、その根源の力が「欲」「妬み」「嫉み」であった場合。
 
魔女の呪いを使ってしまいやすくなるとわたしは考えます。
 
分かりやすく言えば
「自分(親役)は○○できなかったから、
●●(子役)が~~なのは許せない」
って心が根底にあるということ。
 
だからこそ、自分のコンプレックスはしっかり向き合って「癒える」必要があるのだと思うのです。
そして、その「魔女の呪い」という名のコンプレックスから開放されていくこと、つまり「癒されていくこと」で、
その人は「白い魔法」を使えるようになるのです。
 
白い魔法、
これは「許すこと」と「祝福」そのもの。
 
この魔法は使っている自分も癒えることのできる「白い魔法」なのです。
 
彼女たちと出会って、ほろっと自分からでてきたことば。そして、お互いの心がふるえて、彼女たちからこぼれた感情。彼女たちの「白い魔法」。
 
そんなゆらぎに自分の心の奥底が同時にとても癒されていることに気づきました。
 
「可愛くなったっていいんだよ。あなたが可愛いのわたしもうれしいよ」
「親御さんのこととっても大切に思ってるからこそ苦しかったんだね。大変だったけど、わたしはステキなことだと思うよ」
 
人との対話者としての出会いはお互いにふるえあうことに在ると思います。
 
お互いにしなやかに役まわりを自由に行き来して、だんだんと人は溶けていくのだなあと思うのです。
 
わたしたちは、白い魔法使いにも黒い魔女にもどちらでもなれます。
 
朝と夜が終わらないように。
 
どっちだけでもバランスが悪いですし、
その間にいるのが「人」という生き物なのでしょう。